地震被災地を辿る
地震被災地を辿る

地震被災地を辿る

2019年5月27日 気分と気温の上下が著しい日。

宮城のキツネ村でお土産を物色し、よさげな手のひらサイズのぬいぐるみを買ったが

タグに「製造:北海道」となっていて顔をしかめながら出発。

気を取り直し福島へ向かうも、途中尋常ではない暑さに見舞われる。

この時生まれて初めて路上で焼け死ぬと感じ、屋内(道沿いのローソン)へ退避。

日記によると36度なので昨今さほど珍しくもないはずなのだが

本当にバイクの上で死ぬかと思った。その際買った1Lの水は秒で無くなった。

道すがらの山道ではだいぶ気温が下がり、反してテンション上がっていたので

木陰になっていたただの車除けのスペースにバイクを止め、大の字で寝転がった。

別に具合が悪いわけでもないので、ドライブ中の大学生に心配されるも寝ながら応対。

折角の心遣いに対して申し訳ないことをした。

 

さてここから被災地へ入るため、以前と同様に簡潔に記す。

相馬市では普通に見えた街並みが、浪江町にて一変。

対向車はほぼすべてトラック。そのほとんどに除染土運搬中のプレートを掲げていた。

運転手並び助手も白い大きな防護服をまとっていた。

街並みは田舎ながらも整備されて奇麗な街並みなのに見る限りゴーストタウンとなっていた。

道の所々に空き巣など犯罪行為への警告が見られる。

また6号線には各所にガイガーカウンターが設置されており、放射線量の計測値が表示されていた。

一部区間にて二輪車の走行不可となっていた。車の通行は許可されており

整備の方?に理由を聞くと放射線量の閾値というべきか

車よりも生身が出ている二輪車では悪影響を及ぼす可能性がある区間だから、とのこと。

大気中の放射線に対し、車のボディーパーツなど影響に差が出るほどのものなのかと思ったが浅学の為そのまま従う。

その後も津波などの被害にて一度多くの建物が無くなった場所にて

ある種北海道を彷彿とさせるほどの規模で動植物がアスファルトを侵食しており、

2019年時点でも復旧したとは間違っても口に出せない、強烈な景色だった。

メディアでの情報はあまりに一部すぎる、本当に知りたいことは現地に行かなければいけない。

旅行や勉強をした際によく感じることだったが、ことさら深く身に染みた。

 

被災地を離れ、栃木へ向かう。

長野県にある以前の職場でお世話になった先輩でありなおかつ後輩の人が引っ越した先だ。

久しぶりに酒を飲む。当時の話などで盛り上がる。元気そうで何より。

今も変わらず元気であってほしい。

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